世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか 経営における「アート」と「サイエンス」/ 山口周
正解のコモディティ化
論理的・理性的スキルでの情報処理の限界—論理的に全てを考えられるとしたら、導かれる答えは全て同じということになる。
そのような社会の中で、全体を直感的に捉える感性と「真善美」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力が必要になる。
優れた意思決定の多くは、論理的に説明できないことの方が多い
つまり、これは「非論理的」なのではなく「超論理的」だということです。
—経営の意思決定においては「論理」「直感」も、高い次元で活用すべきモードである。
経営というものは「アート」と「サイエンス」と「クラフト」が混ざり合ったもの
帰納的=アート、演繹的=サイエンス、両者を繋ぎながら、現実的な検証をする=クラフト
アートにはアカウンタビリティはない
現代では、アカウンタビリティのある、サイエンスとクラフトが権力を持つ
アカウンタビリティ=リーダーシップの放棄
意思決定者の責任放棄の方便になってしまう可能性
トップにアートを据え、左右の両翼をサイエンスとクラフトで固めてパワーバランスを均衡させる。(p.66)
現代で大成功しているような企業でもこのようなシステムをとっていることが多い
経営のトップがアートの担い手か、それらを委託することができる人材を配置する。(Steve Jobs, Goldman Sucks)
デザインと経営には本質的な共通点がある
「エッセンスを切り取って、すくい上げる」
経営という営みの本質が「選択と捨象」であることを、しっかりと認識する。
サイエンス型が強くなるとコンプライアンス違反が起こりうる
「過度のサイエンスの重視」=現状の延長線上に目標設定をし、そして馬車馬のように働かせる。それらが達成できないと気づくと、どうにか目標を達成するために「イカサマ=コンプライアンス違反」に手を出す。
本質的な経営陣の仕事は、経営というゲームの戦略を考えること。
そして、ゲームチェンジャーになること。
アート、直感に全面的に頼れと言っているわけではない。
むしろ、その逆側から綿密にそれらを検証し、それらが本当に正しいかという判断をする。
自己実現欲求の市場の拡大
現代は、機能的には飽和しているような状態。その状態の中で競争力を持つのは「このブランドを持ってかっこいいわたし」「デザインがかっこいい」で勝たなければならない。
ブランドに付随するストーリーは何事にも変えがたい価値を持つ。
アップルの本当の価値はストーリーと世界観にあり、それらは決してコピーできない唯一のものである。
邪悪にならない
現代はシステムの変化が異常に早く、明文化されたルールの整備がシステムの変化に追いついていない。
そのような状況の中で、「善悪」という、倫理的な観点からの美意識に考えさせることで、決定的な倫理上の過ちを犯すことを防いでいる。
エリートこそ美意識による規範を持つべき
自分自身の人生を評価する「自分の物差し」を持つことで、普遍的な自分自身のルールをもつ。
この自分の物差しは目の前でまかり通っているルールや評価基準を「相対化できる知性」ということになり、自己的な判断の元になる。
美意識を持てないと、「システム的な社会」に支配される
エリートとはシステムへの順応が早く、その中で生きてきたような人々
システムに固執し、システムに支配されることは「よく生きる」ということにはならない。
p.176 メタ認知の能力を獲得し、「自分の有様」について、システム内の評価と別の物差しで評価するためにも「美意識」が必要である。
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」
システムを相対化して眺めるために、「美意識」は必要になる。
“主観的な物差し”持つこと。
それこそが、美意識を鍛える理由である。
ただひとこと美意識と言っても、それは絵画や音楽のアート作品だけではありません。
アート作品や、デザインのように物質的な美に対することだけではない。
精神的・倫理的な美しさ、生き方としての美しさなどにも目を向け、サイエンスに支配されたこの社会を再び評価し直す、そんな営みを求める。